- 落とした枝は戻らないので、一日に何十回も決め切ることになること
- 家の人の希望と木の都合がぶつかる場面が、庭に入るたびに来ること
- 自分の判断の答え合わせが、来年の同じ季節にしか来ないこと
体力には自信があるほうですが、それだけで続く仕事なのかが分かりません
向いているかどうかを考えるとき、多くの人はまず体力と、高い所が平気かどうかを思い浮かべます。
たしかに、どちらも要ります。ただ、この二つは何年か続けた人のあいだで、それほど差になりません。
毎日その場で問われているのは、別のところです。切るか残すかを、迷ったまま決める場面が続きます。
しかも、その決め方が合っていたかどうかは、その日のうちに分かりません。
ここでは、庭に立っている人が一日のうちに何を問われているのかを書きます。答えは出しません。

落とした枝は戻らないので、決め切ることになります
一本の木の前に立つと、残す枝と落とす枝を選ぶことになります。これを、一日に何十回も繰り返します。
元に戻す手立てはありません。落とした枝は、その場で終わります。
しかも、正解が一つではありません。同じ木を三人の職人が見れば、落とす枝が少しずつ違います。
会社に勤めていれば、迷ったところで上の人に聞けます。一人で庭に入ると、聞く相手が居ません。
三脚の上で手を止めたまま、木を見ている時間ができます。下では、家の人が窓から見ていることもあります。
止まっている時間が長くなると、決め方が雑になります。早く動きたくて、目に付いた枝から落とし始める形です。
迷ったまま太い枝を落とすと、その木の形は何年も戻りません。細い枝なら一年で埋まりますが、太い枝の跡は残ります。
この繰り返しが平気かどうかは、体力とは別の部分です。決めることそのものが重い人には、一日が長く感じられます。
逆に、自分で決められることが面白いと感じる人もいます。同じ庭でも、去年と違う形にできるからです。
どちらであっても、決めない選択はありません。手を止めていても、木は待っているだけです。
下から見て決めた形は、登ると変わります。上に居る自分にしか見えない枝が、必ず何本かあります。
そこで決め直すかどうかも、一人の判断です。降りてから見上げ直す人と、上で決めてしまう人に分かれます。

短くしてほしいという言葉に、その場で返事をします
庭に入ると、家の人から希望が出ます。短くしてほしい、隣に枝が出ないようにしてほしい、前のようにしてほしい。
その希望が、木の都合と合わないことがあります。今の時期に深く詰めれば弱る木、詰めた分だけ強い枝が出る木があります。
花の咲く木なら、来年咲かなくなる時期があります。切ってしまえば、その年は何も起こりません。
つまり、言われたとおりにやれば、その場はいちばん喜ばれます。返事が返ってくるのは、次の年です。
家の人は、木を見て言っているのではなく、暮らしを見て言っています。落ち葉が隣に飛ぶ、部屋が暗い、蚊が出る。理由のほうが先にあります。
ですから、断るのではなく、別の形を出すことになります。今日はここまで、続きは冬に、という分け方です。
それを、庭に立ったまま口で伝えます。紙も見本もない状態で、相手の望みと木の側の事情を並べます。
うまく伝わらない日もあります。それでも切ってほしいと言われれば、そこから先は受けるか断るかです。
黙って言われたとおりに詰めると、次の年に暴れた木を自分が直すことになります。直す手間は、額には入りません。
人と話すのが苦手でも、この場面は毎回来ます。庭には、たいてい家の人が居ます。
前に入っていた職人の切り方が残っている庭もあります。その形をどう扱うかも、その場で決めることになります。
前の人の切り方を悪く言う必要はありません。ただ、今年から先の形を決めるのは、目の前に立っている自分です。

答え合わせが来るのは、来年の同じ季節です
その日の仕事が良かったのかどうかは、帰る時点では分かりません。切った直後の庭は、どんな切り方でもきれいに見えます。
形が出るのは、伸びてからです。残した枝がどう伸びるか、落とした跡から何本出てくるか。
つまり、答え合わせに一年かかります。しかも、確かめに行けるのは、また同じ家に呼ばれたときだけです。
呼ばれなかった庭の結果は、分からないままになります。良かったのか外したのか、通りすがりに見上げるしかありません。
この間の長さに耐えられるかどうかが、一つの分かれ目になります。手応えがその日に返ってこないからです。
だから、同じ家に何年も通っている人ほど、判断が早くなります。過去の自分の切り方が、目の前にあるからです。
逆に、応援ばかりで毎回違う庭に入っていると、自分の判断の結果を一度も見ないまま年数だけが増えます。
待つことに向いている人と、その日のうちに結果が欲しい人では、ここで感じ方が分かれます。
庭は、こちらの上達を待ってくれません。その年の切り方のまま、一年ぶん伸びていきます。
同じ庭でも、去年見えなかったものが見えることがあります。根元の土が固くなっている、幹の片側だけ苔が厚い。
見えるようになった分だけ、やることが増えます。気づかなければ、去年と同じ作業で一日が終わります。

同じ家に毎年戻ることを、どう感じるか
この仕事では、同じ門を何度もくぐります。三年も通えば、庭の形も、家族の様子も覚えます。
家の人のほうも覚えています。去年と同じ話から始まり、お茶を出されて、庭のことより世間話が長くなる日があります。
その時間を、仕事が進まない時間だと感じる人がいます。半日で終わる庭が、話をしていて夕方までかかることがあります。
一方で、この関係が続く理由になる人もいます。切った木がどうなったかを、一緒に見上げる相手が居るからです。
毎年戻るということは、逃げられないということでもあります。去年の切り方を外していれば、その形の前に立つことになります。
庭のほうも変わっていきます。家の人が年を重ねれば、草取りも頼まれるようになり、木を減らす相談が出ます。
長く通った家ほど、終わりの日も来ます。住む人が替われば、庭そのものが無くなることもあります。
一度会って終わりのほうが気楽だという人には、この形は重く感じられます。
続けている人の多くは、この重さのほうを選んでいます。来年もその庭に呼ばれる前提で、今日の枝を残しています。
何年も通うと、庭の外の話も入ってきます。子どもが家を出た、犬がいなくなった。木の相談より先に、その話から始まります。
その積み重ねが、次の年の電話を早くします。腕を比べられる前に、あの人にという形で決まっていきます。
まとめ
この仕事で毎日問われているのは、体力よりも、戻せない判断を自分の口から出せるかどうかのほうです。
家の人の希望と木の都合がずれる場面は、庭に立つたびに来ます。そこで別の形を出せるかどうかで、次の年が変わります。
判断の結果は、一年かけて出ます。その日のうちに手応えが欲しい人には、間が長く感じられます。
同じ家に毎年戻る関係を、面倒と取るか、確かめに行ける機会と取るか。ここは人によってきれいに割れます。
一つだけ材料を置くとしたら、これまでに他人の家の木を見上げて、自分ならどこを落とすかを考えたことがあるかどうかです。考えたことがあるなら、その日あなたは、誰にも頼まれていないのに一度決めています。
- 庭の持ち主へ剪定の理由を説明するのが苦手なら、どうすればよいですか
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庭には、たいてい家の人が居ます。始まりと終わりに必ず一度は話すので、避けられる場面ではありません。
ただ、話す中身は世間話ではなく、木と今日やることの説明です。伝える順番を決めておけば、話し方の得意不得意はそれほど出ません。
- 高い所が怖い人には、向きませんか
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手の届く範囲の木と草だけで一年を回している人もいます。庭の選び方しだいで、高さを外す組み方はできます。
屋根へ枝がかかる木を前にすると、低い庭木と同じ手順では進められません。高所を自分で扱えるか、依頼の返事をする前に考えます。
- 一人で作業する時間が長いのは、寂しくありませんか
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庭に入っている間は、たしかに一人です。話す相手は、家の人か、隣から声をかけてくる人くらいになります。
そのぶん、切る順番も休む時間も自分で決めます。人と組む日が減ることを軽く感じるか、重く感じるかで分かれます。
