- 自分の名前で請けるとき、預かっているのは今日の見た目ではなく来年の形
- 庭に引き渡しの日はなく、同じ家に何度も戻る働き方になること
- 木の都合と施主の希望がずれたとき、その場で返事をするのは自分だということ
造園って、庭を作る仕事なのか、木を切る仕事なのか、そこからよく分かっていません
家の前に軽トラックが止まって、脚立と鋏を持った人が門の中へ入っていく。外から見えているのは、たいていそこまでです。
数時間して出てくると、庭の木は一回り小さくなっていて、荷台には切った枝が山になっています。
その人が何を引き受けて来たのかは、落ちた枝の量からは分かりません。次にいつ来るのかも、通りからは見えません。
ここでは、造園・植木職人が自分の名前で請けるとき、何を預かっていて、帰りに手元へ何が残るのかを書き出します。向いているかどうかには触れません。形だけを並べます。

預かっているのは今日の形ではなく、その庭の来年です
会社に勤めて庭に入る職人は、その日に触る木と、どこまで詰めるかを先に言われます。判断のいちばん重いところは、たいてい済んでいます。
自分の名前で入る側に回ると、渡されるのは作業ではなく庭そのものになります。この家の木を、どういう状態にしておくか、という預かり方です。
木は切った直後より、そのあとの伸び方で形が決まります。強く詰めた枝の付け根からは、勢いの強い枝が何本もまとめて出ます。
ですから、鋏を入れる手前で見ているのは、今の見た目ではありません。次の夏にどこから枝が出てくるかを置いてから、切る位置を選びます。
その日きれいに見えることと、一年たっても同じ輪郭で収まることは、同じ切り方では並び立ちません。どちらを取るかを、木ごとに決めます。
その場で強く切ってほしいと言われても、次の季節にどこから芽が出るかを伝えます。今日の見た目だけで決められない人に向く仕事です。
一本の木の中でも、残す枝と落とす枝を何十回も選びます。上から見て決めたことを、下に降りてもう一度見て変えることもあります。
切り口は残ります。細い枝なら一年で分からなくなりますが、太い枝を落とした跡は何年も幹の上にあります。
高い枝は、下から見上げて決めた形と、登ってから見える形が違います。上で一度、切る位置を組み直すことになります。
迷ったときは残します。落とした枝は戻せませんが、残した枝は来年でも落とせます。

この仕事には、終わりという日が来ません
建てる仕事には、引き渡しの日があります。庭の手入れには、それにあたる日がありません。
刈り込んだ生垣は、梅雨を越えれば新しい芽で輪郭がぼやけます。掃き終えた地面には、秋にまた葉が落ちます。
終わりは、その日の分が終わったという区切りにしかなりません。門を出るときには、次に来る季節の話がもう始まっています。
同じ家に何年も通うと、去年の自分が入れた鋏の跡から始めることになります。前の年の判断が、目の高さに残っています。
切り口が乾いて盛り上がっている場所を見れば、そこを落とすかどうか迷った時間まで思い出します。
人の仕事を引き継ぐより、自分の去年を引き継ぐことのほうが多くなります。うまくいっていない切り方は、翌年の自分が直します。
庭が仕上がっていく速さは、こちらの働き方とは関係ありません。通う年数のほうが先に必要になります。
庭を持つ人の年齢も変わります。自分で草を取っていた家が、やがて刈る作業まで頼むようになることがあります。
庭の形そのものも動きます。子どもが小さいうちは芝だった場所に、あとから木が植えられていることがあります。

相手が生きているので、こちらの都合では動きません
木には、手を入れてよい時期と、入れると弱る時期があります。それは施主の予定とも、こちらの空きとも関係なく決まっています。
花の咲く木は、芽を作る時期に詰めると次の年に咲きません。咲かなかった理由は、切った側にしか分かりません。
夏の盛りに深く落とせば、日の当たらなかった幹が急に焼けます。寒さの厳しい日に大きな切り口を作れば、そこから傷みます。
依頼の電話は、木の都合では来ません。人が来る前に整えたいときか、落ち葉で近所に迷惑がかかり始めたときに来ます。
そこで、今日入れてよい木と、時期を待ったほうがよい木を分けて伝えることになります。黙って全部やれば、その日は早く終わります。
待ちましょうと言えば、その場では仕事が減ります。言わずに詰めた木の代金は、次の年に信用のほうから引かれます。
土の中も同じです。根を切れば地上の枝が枯れ込みますが、それが出てくるのは何か月も先になります。
虫や病気も相手の都合で出ます。葉の裏に毛虫がつく季節は決まっていて、その時期だけ生垣に触れない日が出ます。
台風のあとは、予定していた家より先に折れた枝の家へ回ります。木の都合が、こちらの一週間を入れ替えます。

帰りの荷台に残るのは、切った枝と、次の約束です
一日の終わりに積んであるのは、落とした枝と刈った草です。仕上げたものは、そのまま人の家に置いてきます。
写真を撮っておかなければ、自分のやった仕事は手元に一つも残りません。庭は、見た人の記憶の中にだけあります。
手を入れる前と後を撮らずに帰ると、額の話になったときに何をどれだけ落としたかを言葉だけで説明することになります。
代わりに残るのが、次にいつ来るかという約束です。門の前で道具を積みながら、来年は何月ごろがよいかを立ち話で決めます。
毎年同じ家に戻る約束が増えると、春の予定表に庭の名が早くから並びます。枝の伸び方を知る相手との仕事が続きます。
増やすのも減らすのも、こちらの返事ひとつです。断れば空き、受ければその季節の何日かが動かせなくなります。
自分の鋏は、庭を出たあとに刃を拭いて研ぎます。切れ味が鈍いまま次へ持っていけば、太い枝ほど手に負担が残ります。
残るものの中で一番大きいのは、その家の木の状態を自分だけが知っているという形です。次に鋏を入れる人が自分だと分かっているので、見方が変わります。
仕事の跡は、隣の家からも見えます。道に面した木の切り方を見て、次の依頼が来ることがあります。
そのぶん、雑に詰めた木も同じ場所に立ち続けます。通りかかるたびに自分の手が目に入ります。
まとめ
造園の一人親方が請けているのは、その日の作業ではなく、庭がこれからどうなっていくかのほうです。渡されるのは範囲ではなく、木の状態です。
相手が生きているので、判断の結果は数年かけて出ます。良い切り方も、間違った切り方も、同じ速さで形に変わります。
完成する日がないので、区切りは自分で置くことになります。門を出た時点で、次の季節の話がもう動いています。
帰りに残るのは荷台の枝と、次に来る約束だけです。仕上げた庭そのものは、人の家に置いてきます。
去年の自分が入れた鋏の跡の前に立って、これでよかったと思うのか、あのとき別の枝を残せばよかったと思うのか。そこは、同じ庭に何度も戻っている人の中にしか残りません。
- 庭を作る仕事と、木の手入れをする仕事は別のものですか
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同じ人が両方を請けることもあれば、片方に寄ることもあります。庭の形を作り替える仕事は、土を掘り、石を据え、植える作業が中心になります。
毎年呼ばれる手入れの仕事は、伸びた分を詰めて、落ちた葉を片付ける作業が中心です。一人で請け始めた人は、手入れのほうから入ることが多くなります。
- 木の名前を覚えていないと、始められませんか
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名前は、庭に入りながら覚えていくことになります。図鑑より、同じ木を何度も切るほうが早く入ります。
ただ、切る時期も残す枝も木ごとに違うので、知らないまま鋏を入れると落としてはいけない枝を落とします。最初は、手を止めて聞ける相手がいる状態で入ることになります。
- 雨の日はどうなりますか
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木が濡れていると、三脚の足も、幹に掛けた足も滑ります。高い所の作業は別の日に動かします。
草を刈る、地面を片付ける、といった低い所の作業だけ進める日もあります。ただ、動かした一日はその週のどこかに押し込むことになります。
写真から読む:提供写真で見る、庭の季節と細部
